EJ WORLD【第2人生スタート】~第4章~

田舎の地方公務員を早期退職し、人生謳歌中!

【物事の捉え方の考察】真実とは何か!

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アインシュタインの名言

 

今回は、物事の捉え方や考え方についてお話しします。

 

ある事象があったとして、そのことについて考えるとき、皆さんの頭ではどのような物の捉え方をしているでしょうか?

 

例えば、

   真実とは何か!?

ということを例にしてみましょう。

 

真実とは何だと思いますか?

辞書には、

   嘘、偽りのないこと

   本当のこと、真のこと

と書いてあります。

 

じゃぁ、

   嘘、偽りのないこと

   本当のこと

とは、どんなことですか?

 

嘘を辞書で調べると、

  1.    事実でないこと

  2.    また、人をだますために言う、事実とは違う言葉

  3.    偽 (いつわ) り

  4.    正しくないこと

  5.    誤り

   適切でないこと。望ましくないこと。

と書いてあります。

 

事実でないこと、正しくないこと、誤りであること、適切でないこと等が嘘ということで、それらではないことが、真実ということです。

 

それでは、

   事実でない、正しくない

   誤りである、適切でない

とは、どう考えれば良いのでしょうか。

 

実は、それらの捉え方は、

   人によって千差万別

なのです。

 

人の考え方が、十人十色あるように、

   真実も答えは沢山ある

という理解がまずは必要になってきます。

 

私は、大学を卒業してから30年弱の期間を地方公務員として働いてきました。

その中でも、法律知識に携わる機会が主な仕事だったので、仕事の内容に対し、評価は、

   法律に対して、違反しているかどうか

ということで、

   正しいこと、誤ったこと

と区分けをすることができました。

 

この場合、法律という決められたものがあるので、結論は直ぐに出ます。

法律から脱線している行為は、全て間違っていると言えるからです。

 

法律がない場合は、どうでしょうか。

例えば、社会人としてのルール、日本人としてのルール、町内会のルール等ですが、これらは、

   人が集まった時

に必要なもので、

   大半の人がこれで良い

   事前に決めておくと社会の秩序が守れる

という考えから作られるものです。

 

しかし、少なからずこれに反対する人もいます。

ルールがわからない人も居ます。

この人たちは、

   ルール自体が誤っていると思う人

   世の中の常識にとらわれない人

   他人と接触しない人

   発達障害に起因する人

が当てはまりますが、その方たちに対して否定的になってはいけません。

一定数このような方は必ず存在するからです。

 

で、話を元に戻しますが、そういう様々な思想がある以上、物事の捉え方、見方を知っていると、世の中上手く立ち回ることができるようになります。

 

なぜあの人は、世の中の常識がわからないのだろうと思ったことはありませんか?

 

私がいつも思っていることは、

   物事は、表と裏、更に中立的に見ること

   どちらが正しいかは、その人によって見方が異なる

   真実は決して1つではない

   正解も1つではない

ということです。

 

物事を見るときには、必ず

   「表」と「裏」の両面から観察、思考する

ことが必要です。

そうすることで、その間の

   「中立的」な考え方

が見えるようになります。

自分が正しいと思って言うことが表だとして、違った意見を裏とします。

そうすると、表と裏の中立的な意見もわかるようになります。

これは、何でも決めつけた考えは良くないという警鐘です。

 

先ほど人の考えは、千差万別と言いましたが、それによって、

   正しい答えも千差万別

ということを理解する必要があります。

自分の考えがいくら正しいと思っていても、人は違った考えを持っていることを知っておくべきなのです。

 

そういう思考ができるようになると、

   真実は1つではない

という結論になるのではないでしょうか。

見方によって、真実や正解が変わるという物事の捉え方ができるようになれば、今まで自分が正しいと思っていたことも見返す良い機会になるかもしれませんよ。

 

世界に神様、仏様ってどれだけいるの?って思ったことありませんか?

 

世界中たくさんの宗教があり、その宗教の数だけ神様や仏様がいるのです。

私の家系は、浄土真宗東本願寺の仏教ですが、私自身仏様を信じるということはしていません。

 

信じるのは、

   「己のみ」

であり、他人に自分の人生を預けることは考えておらず、自分の行動に対しては、全て自分が責任をとらなければならないことがわかっています。

 

なので、宗教の勧誘に対しては、

   私が教祖なので必要ありません

ときっぱり断るようにしていますが、相手の宗教についても話は聞いてあげますよ。

しかし、質問もさせてもらいます。

あなたが信じる教祖様は、貴方に何を与えてくれ、私に何を与えてくれますか?

そして責任は取ってくれますか?とね。

私は、教祖なので自分の責任は取りますよ、あなたが信じる者は責任を取ってくれますか?私に代わって責任を取ってくれるのなら入信を考えますけど、と最後に付け加えますけどね(笑)

 

日本では憲法で、信教の自由は保障されているので、相手のことについてはとやかく言いませんが、私は神様、仏様よりも、自分のことを信じています。

 

人は、これまで取ってきた行動によって、現在が作られています。

これからも道は選択でき、どのように歩んでいくかによって将来が変わります。

過去の自分は見返すことができますが、未来の自分はわかりません。

これまでは、選択をミスしただろうという後悔した部分もありましたが、今後は後になって後悔しない人生を歩みたいと思っています。

 

そのため、今後の道を選択する際に、今回お話ししたような物事の捉え方を知っていれば、人生はかわるかもしれません。

人生は1度きり、楽しくやっていきたいじゃないですか。